昭和のピアノの先生は総じて怖かった。
練習不足だったら、カミナリが落ちました。前回言われたことが直ってなかったら、こっぴどく叱られました。
今、そのような先生は、かなり少数派になってきたのではないでしょうか。
私も怒らない先生です(ただ、言う必要のあることは言いますよ)。上から押さえつけて萎縮させては良い演奏ができないと考えるからです。
それでも、間違うこと、できないこと、わからないことが苦手な生徒さんもいます。
弾く前に間違ってもいいかと尋ねたり、
1、2回挑戦しただけで「できない」と諦めたり、
わからないことを覚られるのが嫌で何度も当てずっぽうで答えたり。
(どれも素直な反応でそれ自体は否定していないです、念のため)
間違ったって、できなくったって、わからなくったっていいんです。そのためのレッスンなのですから。なぜそうなるのか、どうすれば良くなるのか、より良い方法を一緒に考えられますからね。
フジコヘミングさんの言葉にもあります。
「間違ったっていいじゃない、機械じゃないんだから」
フジコヘミングさんの演奏はどうして人を魅了させるのでしょう、ミスタッチがあってもそれに勝る求心力があります。人の心を捉えて離さない彼女の宇宙があります。
間違ってもいいよ、機械じゃないもの。
(注:できるだけ本番は除く)
失敗した先にあるものは気づきです。
逆に気づきを得ることができます。