日本は古来から気という見えないものの存在を知っていました。
日本語の気という字がつく言葉の多さにもそれが表れています。
空気、雰囲気、元気、勇気、やる気、短気、病気、気長。気恥ずかしい、気まずい、気がつく、気をつかう、気を配る、気を張る、気を吐く、などなど。
日本人は日々見えない気を感じて読みながら生活していたのですね。「空気を読む」の言葉にもそれがよく表れています。言葉がなくとも醸し出す雰囲気を察するのが得意です。
言葉のない時代、テレパシーが使えていた頃の名残りとも思います。
話は逸れますが「気」という字、戦前は「氣」という字を使っていました。气の中の米という字はパワーが四方八方に広がっていくさまを表しています。
氣という特別な力を持つ日本人の霊力を封じ込めるためにGHQの教育改革で封印の「〆」という意味での「メ」を漢字に施したそうです。
日本人は氣という見えない力を知っていたし使えたのですね。
私も氣というものは本当にあると思います。文字どおり氣が落ちているときは邪気に晒されやすく、余計に疲れやすいです。人混みや氣が淀んでいるところに行くのは苦手です。顕著に体調に現れます。寝込むこともしばしばです。
今回罹患したコロナも、度重なる心労、不調、取り入れたくないネガティブな情報で氣が枯れかかっているところにやったきたと思います。いわゆる氣枯れ=穢れですね。
現在、症状は概ね回復したもののパワーのゲージがエンプティのまま。日々の生活がやっとです。新鮮なもの旬のもの精がつくものを食べてもチャージが間に合わない。
今は大切な氣を自分だけに使いたいと思います。