西洋音楽史の第7回め、勉強したことを今日もまとめていきたいと思います。
古代の悲劇を復興するルネサンス的試みはオペラ、通奏低音に伴奏されるモノディという歌唱形式を生み出した。
その衝撃でバロック時代が幕を開ける。
モンテヴェルディの「オルフェーオ」は現代も上演される最古のもので不協和音の大胆な使用が理由に挙げられる。
楽譜が詳細で豊かな管弦楽法な曲。
題材はギリシャ神話でなく古代の歴史にも広がっていき、アリア風の独唱や愛の二重唱と後世のオペラへ接近していく。
カストラート=幼少期の去勢により声変わりしなかった男性高音歌手
合唱は重視されなくなってくる。
大衆化を契機としてイタリア・オペラの様式が固まっていく。
スカルラッティが活躍。
レチタティーヴォとアリアの交代がイタリア・オペラの骨格となった。
イタリア・オペラについてフランスは根付くことはなかった。
リュリがフランス様式のオペラを確立する。→組織としてのオペラ座へ
フランスのレシタティフは旋律的。
フランスのオペラは合唱も多用された。
全体的な構造としてはプロローグに複数の幕が続く形が一般的、王権への賛美が行われた。
リュリのオペラは音楽悲劇、抒情悲劇などと呼ばれた。
リュリの悲劇に対しオペラ・パレ(創始者カンプラ)は歌や舞踏の楽しみが重視。(→ディヴェルティスマン)
喜劇としては18世紀のイタリアのインテルメッゾが勃興してペルゴレージの「奥様女中」などが上演された。
短い喜劇は大規模な喜劇(オペラ・ブッファ)へ。
オペラ・コミックは牧歌劇風、やがてオペレッタへ。
オペラにおける演劇性の希薄が問題となりイタリア・オペラの改革をグルックが目指す。
以上でした。何かいろいろな立場からの思惑が交錯してうねりのように進化してきたのだなあと思いました。
第8回に続きます。